TOTOサニテクノ愛知工場の歴史は、今から100年以上も前の1906年(明治39年)にさかのぼります。愛知県常滑の地で藤井弥太郎氏が製陶所を設立し、土管や陶管を製造したのが始まりです。愛知工場の創成期となる藤井製陶の歴史についてご紹介します。

陶管から衛生陶器製造への転換

弥太郎氏の跡を継いで陶管製造を行っていた藤井忠三氏は、ヒューム管進出により陶管の将来性を案じるとともに、建設業界の進展を予測して、1951年(昭和26年)より衛生陶器の生産を開始しました。その翌年には陶管製造を廃止し、全面的に衛生陶器の製造に転換すると同時に、「藤井製陶合資会社」を設立し、衛生陶器の販売にも着手しました。

藤井忠三氏

藤井製陶株式会社の設立

1957年(昭和32年)3月12日、藤井忠三氏は「藤井製陶株式会社」を常滑市多屋に設立しました。この日をもって藤井製陶の創業とし、TOTOサニテクノの創立記念日と定めています。
多屋本社第一工場のトンネル窯で、非水洗便器や手洗器などの衛生陶器を生産、1958年からは水洗便器の生産も開始しました。1959年には第二工場にトンネル窯を増設し、戦後の衛生思想の普及と、住宅建設の増大に伴う需要に応えてきました。
創業時のブランドマークは、創業者の藤井忠三氏が海軍出身であることから、帆船を取り入れたデザインを採用しており、「船印の衛生陶器」として親しまれました。その後、同業他社にローマ字表記のロゴマークが増えたことから、藤井製陶でもローマ字表記のロゴマークが使われるようになりました。
右下の写真の陶器は、シェービングカップ(髭剃り用)で、藤井製陶時代に配られた記念品(非売品)です。

藤井製陶本社事務所(常滑市多屋)

藤井製陶のブランドマーク

記念品として配られた陶器

藤井製陶の衛生陶器価格表

東洋陶器株式会社との技術提携

1960年(昭和35年)、藤井製陶は東洋陶器株式会社(現 TOTO株式会社)と技術提携並びに非水洗便器に関する販売契約を締結しました。
当時、東洋陶器では非水洗便器の生産部門を持っていなかったため、同部門の協力会社として藤井製陶をパートナーに選びました。そのころの藤井製陶は、常滑・瀬戸地区で十数社あった衛生陶器メーカーの中でも上位の生産規模を誇り、品質も決して大手に引けをとらない評価を得ていました。
1964年(昭和39年)には、水洗品類も加えた全面的な技術導入と資本提携により、東洋陶器の出資比率が50%となりました。その後も相互の結びつきを強化しながら、自社ブランド品とTOTOブランド品の生産を続けていきます。

1966年頃の水洗便器

1971年発売の洗面化粧台

檜原工場の建設

東洋陶器との技術提携が本格化したのを機に、1962年(昭和37年)、現在の工場がある常滑市檜原(ヒバラ)の地に、第三工場を建設しました。当初の檜原工場は鉄骨スレート葺きの建屋1棟のみでしたが、当時の東洋陶器が保有していた生産技術も導入され、全長86メートルのトンネル窯1基と成形設備など一式を備えていました。

建設中の檜原工場

完成した檜原工場

檜原工場での成形の様子

愛知東陶株式会社としての再出発

1970年代にはいると、経営環境の急速な変化により自社ブランド品の売上が悪化したため、1972年にはTOTOブランド品のみの生産体制となりました。1973年(昭和48年)には、経営基盤のさらなる強化を図るため、「愛知東陶株式会社」に社名を変更し、東陶のグループ会社として新たなスタートを切りました。
その翌年、当時の東陶が保有する最新の衛生陶器生産技術を集結させた新工場が檜原に完成し、腰掛便器、和風便器、隅付けタンクの三品種の生産を開始しました。これを機に、多屋の第一・第二工場を廃止して本社を檜原に移し、TOTOブランドの衛生陶器生産の一翼を担う工場として稼働を続け、現在に至っています。

社名変更披露パーティ(1973年5月)

新工場建設の様子

新窯設置の様子

E-2号窯火入れ式(1974年1月)

新工場竣工式(1974年5月)

完成した檜原新工場

新工場での成形の様子